《釜石便り⑤》
沿岸側から釜石駅方面へ歩く人

釜石にはトロン温泉で有名なホテルシーガマリンがあります。
このホテルも震災後避難所となりました。
先日支配人の方のお話を聞く機会がありました。
自衛隊が来るまで水がなく湧き水をバケツリレーしてしのいだ話とか、津波は黒い絶壁のようだったとか、津波到来時の様子と自衛隊が来るまでのことを詳細にお話ししてくださいました。
このトロン温泉ですが、90℃のサウナがあります。
お湯⇔サウナを繰り返すことによって効能が高まるのだそうです。
昨日サウナに入った時、先にお一人入られている方がいて、こちらの方ですか?と声をかけてみました。
震災当時のことを目に見えるように詳細に話してくださいました。
自分の家は一階部分が浸水したけれど、隣の家から向こうは全て流されたこと。
看護師としてすぐ勤務先の病院へ向かったが、道路がなくなり地形が変わり、瓦礫と死体の中を一心不乱に病院まで歩いた話。
野戦病院のようだった話。
非番のお友達が津波で流された話。
サウナに置かれた砂時計を何回もひっくり返しました。
じっと聞いていましたが、私も話してみました。
東京に帰ると復興していたかと聞かれることが多く、確かに一年前と比べたら違うけれど、これは復興というか… 上手くまとまらない私をくんでくださり、仮設の話とかそれからまた沢山話をしました。
でもね、この頃よく何かあるたびに、やっとここまでこれた、っておとうさんと話すのよ。
でもね、この頃よく何かあるたびに、やっとここまでこれた、っておとうさんと話すのよ。
とても穏やかな方で以前化粧品のCMに出ていた女優さんにとても似ている方でした。
洋服をおいてある籠がちょうど隣で、着替えながらも少し話しました。
ねえ、三才の孫に生ウニ食べさせてるのよ、私との付き合いより海との付き合いのほうが長いから、海と相思相愛の人なの。
もし定年前だったら海にでていったかもしれない。
津波の時、漁師さん達が海に出ていくという話を聞いたなとふと思い出しました。
お先に、ご苦労様ですとほほえまれ脱衣場から出ていかれました。